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月末のジャーナル「月のお便りエッセイ」では、HAA編集部が1ヶ月を振り返って見つけた"深呼吸の種”をエッセイに込めて、お手紙を出すような気持ちでお届けしています。
「は~」と深呼吸しながら、その封を開けてみてください。
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どうやったら、素直に人に甘えられるのだろう。
昔から、人に甘えたり、頼ったりすることが苦手だった。
「自分のことは自分でしなさい」と言われて育ったからだろうか。
誰の手も借りず、自分の力だけでやり遂げることが正しいと、信じて疑わない子どもだった。
それによって、いくつかの成功体験と、小さな自信を得ることができた。
このままいけば、どんどん強くなれる。その先には明るい未来が待っているはず。
ずっとそう思ってきた。
数年前から、ふとしたきっかけで涙が溢れるようになった。
冷静に思い返すと、子育てやら、仕事やら、ちょっとタスクオーバーしていたように思う。
そんな私を見かねて、「手伝おうか?」「大変なときは頼ってね」と声をかけてくれる人はいたのに、当時の私は条件反射のように「ありがとう、でも大丈夫」と答えていた。
本当は手を借りたくても、素直に甘えることができない。
「甘えない」という信念は、いつしか「甘えられない」というコンプレックスになっていった。
§
かといって、無理に「甘えなきゃ」と思うのも違うし、ストレスにしかならなかった。
甘え下手な自分のままで、うまく深呼吸する方法はないものだろうか。
そう思っていた私は、ひょんなことからそのヒントを掴むことになる。
ある夏の日。
私は子ども達を連れ、近所の公園に水遊びに出かけた。
炎天下の中、途中休憩を挟みながら3時間ほど遊んで帰宅。
子ども達は家に着くなり、「は~楽しかった~。もうバタンキューだわー」と言い、リビングのゴザの上に転がった。
一方私は、濡れた水着を洗濯し、ウォーターシューズに入り込んだ砂を洗い流し、これから作らなければいけない夕飯の献立が全く思い浮かばず、思考停止していた。
ちょっと休憩したいな。
そう思い、「お母さんもバタンキューだわー」と言って、子ども達の横に寝転んでみた。
寝るわけでもなく、ただぼーっと窓の外の空を眺めながら、
「川、冷たかったね」「おにぎり、美味しかったなぁ」と、たわいもない話をする。
ゴザの井草の匂いを嗅ぎながら、少しだけ目を閉じ、心も身体もOFFモードに。全身から疲れが抜けていく心地よさを感じていたら、さっきまで何も浮かばなかった夕飯の献立が、ふいに浮かんできた。
一度、脱力した力が、身体に戻ってくる。「今日はお好み焼きパーティーしよっか」と呟くと、子どもたちは「イエーイ!」と喜んだ。
私は立ち上がり、エプロンの紐をキュっとしめ、台所に向かう。
熱気に包まれるキッチンに扇風機で風を送りながらONモードに戻った私は、大量のキャベツを千切りできるくらいには元気を取り戻していた。
この日を境に、疲れて元気がなくなりそうになると「ちょっとバタンキューするね」と言って、堂々休む宣言をするようになった。
バタンキューという言葉の軽さが、「休みたい」と言えない私にはちょうどいいみたいだ。
未だに、人に素直に甘えることはできない。
誰かが声をかけてくれても、相変わらず条件反射のように「ありがとう、でも大丈夫」と答えてしまう。
そんな変われない自分を保ったままで、私なりの休む術を身に着けた今、不意に涙を流すことはなくなった。
いつかは、差し伸べてくれた人の手を素直に握れるような人間になりたいと思っている。
それまでしばらくは、私なりの休み方で過ごしていこう。
Text by 佐藤ちえみ
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皆さんは、自分なりの深呼吸スタイルのようなものはありますか?
深呼吸の方法はひとつではありません。自分なりの「は〜」を見つけて、暑い夏も軽やかに乗り越えたいものですね。
今月もお疲れさまでした。来月も「は~」っと深呼吸していきましょう。