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月末のジャーナル「月のお便りエッセイ」では、HAA編集部が1ヶ月を振り返って見つけた"深呼吸の種”をエッセイに込めて、お手紙を出すような気持ちでお届けしています。
「は~」と深呼吸しながら、その封を開けてみてください。
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リモートワーク中の昼ごはんは悩ましい。
今日も卵かけご飯かなと思い冷蔵庫を開けると、昨晩のシチューが残っている。キッチンの片隅には、お気に入りのパン屋さんで買った山食。あとは適当に野菜をちぎってサラダをつくり、珈琲を淹れれば立派なランチになりそうだ。
鍋でシチューを温めはじめる。パンは包丁で切り込みを入れてから焼き網に乗せ、火をつける。こんがりきつね色に焼けた頃、ひっくり返してふと思った。パンに切り込み入れるの、いつからやっているんだっけ?
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記憶を辿ると、それは東京・西荻窪に住んでいた20代半ばに遡る。夫と散歩中に見つけた喫茶店でモーニングセットを注文したら、出てきたパンに切り込みが入っていたのだ。
スマホの写真を見返すと、今からちょうど9年前、2016年3月6日の出来事だったことが分かった。
切り込みの中にバターが溶け込んだ、甘じょっぱいトースト。
「美味しいです」と言うと、嬉しそうに笑うマスター。
この日をきっかけに、我が家ではトーストに切り込みを入れるのが日課になった。
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あれから9年。今わたしは京都にいて、ふたりの子ども達と暮らしている。
夫は海外赴任になり、1年が経った。離れて暮らすことにもすっかり慣れた。
先週、「来年は結婚10周年か」と夫からメッセージが届いた。
わたしはすっかり忘れていたことを隠し、「旅行でも行きたいね」と返した。
結婚生活も、トーストの切れ込みも、もうすぐ10年。
その間、3回の引っ越し、はじめての育児、夫の転職や海外赴任などそれなりに大きな変化を乗り越えてきた。
渦中にいる時は大変だった出来事も、いつの間にか日常に溶け、良い味になっている。まるで、パンの上でゆっくり溶けていくバターのようだなと思った。
最後の一口を頬張って、手を合わせる。
旅行に行きたいなんて言ったけど
とりあえず、家族揃って食卓を囲めたら
それで十分かも。そう思った。
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食後の珈琲を飲んだらすぐに仕事に戻ろうと思っていたけれど、なんだか勿体ない気がして庭に出てみた。
足元で控えめに咲いていたのは、クリスマスローズだ。
花言葉は「追憶」、まさに今の気分にぴったりだなと思い、カメラのシャッターを切った。
5分ほど庭を眺めながら珈琲を飲み干したわたしは、「は~」っと深呼吸して静かに仕事に戻る。
いつもより、ちょっとだけ心軽やかな午後が始まる。
text by 佐藤ちえみ
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今月は、リモートワーク中のHAA時間の様子をエッセイにしてお届けしました。
年度末はバタバタしがちですが、日常の合間を縫うように、たった5分でも昔のことを懐かしんだり、頭を空っぽにしたりできると、心に余白が生まれるかもしれません。今月もお疲れさまでした。来月も、「は~」っと深呼吸していきましょう。
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