自分のための写真
天気が良いある休日のこと。どこかへ出かけたいけれど、遠くへ行くのもなんだと思っていた。ふと思い立ち、いつも前を通り過ぎるだけだった、いかにも昔ながらという近所の喫茶店の扉をはじめてたたいた。
中にはカウンターとテーブルが2つほど、5人も入れば大盛況というこぢんまりとしたお店だ。暑い日だったけれど、品良くワイシャツにジレ姿のマスターが軽く会釈をしてくれた。促されてカウンター席に座る。今まで来なかったことが勿体ないくらい、時間がゆったりと流れる、良いお店だった。常連さんが入れ替わり立ち替わり訪れていたのも、長い間愛されているお店だと証明しているようだった。
私もその一員になったような気さえして、思わず笑みがこぼれた。私の暮らすこの町に、こんなところがあったのか――。
住んでいるところを田舎だと思っているから、休日はわざわざ電車に乗って、どこか遠くの楽しいところへ行こうとしていた。けれど、身の回りの、簡単に手の届く範囲に、自分にとっての大切な場所は作れるのだ。そして、その方がずっと、格好良いこともわかった。地続きである日々の中に、よそ行きでない自分のままで、愛せる場所を作るのだ。
お店の外観や、注文したコーヒーとケーキのセットの写真を撮った。けれど、それをSNSにあげたりせず、自分のカメラロールの中だけに大切に仕舞った。他人に認めてもらうのではなく、自分がちょうどよく生きるために。その方が、本当の日常のような気がしたから。